真理の太陽「ラーラ那覇」

ラーラジャパンで学んだ真理や日々の出来事を交えながら綴ってます。

双子の一人との別れ

2018年1月、2人目の妊娠が発覚し、旦那と喜んでいた私は、早速産婦人科のもとへ。そこで、なんと双子が妊娠していますと言われ、喜びと嬉しさが倍になり双子ちゃんの成長を夢いっぱい想像しながら、妊婦の日々を送っていました。

旦那は、双子の結婚式とか、孫の事まで想像して楽しんでたそうです(笑)チャイルドシートも2個買って準備万端でした。

ある妊婦検診の際(個人病院)、双子の体重差が出来ているという事で、総合病院を紹介すると言われ、紹介状を書くよと言われました。もらったのは1週間後でしたが、もらったその日に総合病院へ行くと、「最近、お腹はどんな感じですか?」と聞かれ、「そういえば右側の胎動があまり感じないです。」と、答えると「申し訳ありませんが、残念ながら、片方の子は亡くなっております。」と。

 

晴天の霹靂とはこういう事か、、、。私はあまりのショックに何も答える事が出来なくて涙したのを覚えてます。

この時、旦那も一緒に検診にいったのですが、旦那は泣かずに私を必死に支えてくれてました。

 

「こちらの病院では、お腹の子を診る事はできませんので、生きている片方も危ない状態で、すぐに○〇病院へ救急車で向かわせます。」と言われ、更に大病院へと運ばれました。今まででこんなに泣いた事はない位涙が止まりませんでした。

 

安定期にも入っており妊娠7か月を超えていたのでただただ信じられないという感じでした。お腹の子に悪いと分かっていても、その日の夜は一睡もできませんでした。

あの時は、あれが悪かったのでは、もっとこうすればよかったのではと後悔の念がどっと押し寄せていました。そんな中でも、もう一人の子をしっかり育もうと、ただその想いだけで気が持っていたと思います。

 

新しい病院では、絶対安静の中、亡くなった子がお腹の中で一緒に過ごす事が出来るのだから出産するまでは話かけたり今までと同じように接していました。

 

ある日「口腔外科のお話聞きに行く?」と看護師さんに言われ、気分転換にいいと思って、車いすで参加しました。他の妊婦さんが「○〇さんに双子が産まれたってよー」と話し声が聞こえると、今まで普通に話してたはずなのに涙がこぼれてしまって無言のままその場を離れ、部屋で一人で泣いてました。私も双子に会いたかったとか、私が出産する時はお別れの時なんだ。と思うと、その時の私は笑顔の仮面をかぶって、可愛いねー。とか、笑って話す事なんて出来なかったんです。

 

それから1か月すると、もう一人の子が子宮口が4センチ開き足が出てきてるとの事で緊急帝王切開になり、900g台の未熟児で産まれました。亡くなった子もかろうじて人の形を保ったまま出していただき旦那も一緒に対面して一緒に泣きました。

 

写真は撮らずに二人の心の中にずっと残して生きていこうねといって、目に焼き付けました。

 

旦那は生きて生まれてきた子のこれからの事を医師から説明うけて(産まれてきた子に何かある場合のリスク等)私に心配かけないように何も話してくれませんでした。(私はかなりの心配性でした)一人が生きているだけでも良かったと旦那は話してました。

 

入院中に、遺体を入れる可愛いい箱を旦那と手作りで作りました。

出産後6日目、退院する際、亡くなった子を手作りの可愛い箱に入れました。看護師さんから裏手の業者入り口から来てくださいと言われて、行った部屋には、私たちの亡くなった子の小さな箱と、小さなお香・ろうそくが並べれており、今まで携わってくれた先生方・看護師の方が手をあわせてくれました。

 

そのまま、火葬場へ行き家族で見送りました。

 

その後は、供養の事でお寺に行って聞いて回って死後はどうなるかもわからないままずっとモヤモヤと過ごしておりました。何度泣いたかわかりません。お墓はどうするだの、仏壇はどうするだの。色々親族に言われ疲れていました。

永大供養も90万位かかると言われ諦めてました。ユタ(沖縄でいう神の声が聞こえる人)みたいな人が来て、○〇寺に言って線香あげなさいと言われ、その通りにしたり、、、。

日浦先生とお会いするまでは、ずっとマーヤとマインドに振り回されっぱなしだったと思います。

 

日浦先生は私自身がプルシャを知覚すれば、いつか亡くなった子との再会も出来ると言われました。

その為にプルシャを知覚したいとも強く思ったし、どんな事があっても負けないぞとも思いました。

 

私は亡くなった子と会ったら、抱きしめてあげたいし、再度感謝を伝えたいと思っています。この出来事がなかったら、私は日浦先生とも出会えていなかったでしょう。

 

結果、私たちは、亡くなった子に対して永大供養、お墓、等々~するべきという周りの想念に振り回されず、仏壇もお墓も持たず、気持ちが楽になりました。

 

長くなりましたが、私のお友達にも死産の体験された方がいて、二人の子供は天国で遊んでるはずねー。と友達がいうので、もうあの世では大人の姿になっているってよというと、いつまでも子供だと思ってたのに、いつまでたっても親馬鹿だねー。と、笑っていました。

私は、日浦先生から習った供養の仕方を友達に教えました。

親馬鹿でいいじゃないか。うんうん。

 

このブログを通して少しでも悲しんでいる方がいらしたら救われますように。あなたも、そして、みんなそれぞれが、唯一です。

 

どうかあなたも目の前で起きている出来事に振り回されませんように。

 

rara-japan.hateblo.jp